僕は多くの邦楽を「ダサい」と感じてしまいます。

これは僕だけではなく、特に洋楽が好きな人に多い傾向なのではないでしょうか?

なぜ邦楽をダサいと感じるのか?

この点について、僕の経験に基づく推論を述べてみようと思います。

邦楽とは?

まず「邦楽」の定義をしておきましょう。

ここで言うところの邦楽とは、オリコン総合ランキングに載るような、ポップスやロックなどの大衆音楽です。

要するにJ-POPとかJ-ROCKなどと呼ばれている音楽ですね。

ジャニーズやAKBファミリーなどのアイドル系音楽も含みます。

ヴォーカルが入っているというところがポイントで、インストゥルメント曲(器楽曲)は邦楽から除外しておきます。

邦楽を聴いてダサいと感じる理由

では、ここから本題に入っていきます。

僕が考えるに、邦楽を聴いてダサいと感じる理由は主に以下の2つがあると思っています。

  • 歌詞がダサい
  • 楽曲そのものがダサい

歌詞がダサい

まず一つ目の「歌詞がダサい」について。

僕がダサいと感じてしまう邦楽の歌詞は、「ありきたりな歌詞」「聴いてて恥ずかしくなる歌詞」です。

このあたりは、リスナーの年齢や音楽経験、人生経験の差にも左右されるので、例えばほとんどの大人が「ダサい」と感じてしまうような曲あっても、小学生の耳には新鮮に響くことで、ダサいという感覚を抱かせないでしょう(そもそも、小学生低学年の子どもには「ダサい」という価値判断そのものがないような気がします)。

 

それでは、歌詞の意味が分からない洋楽はどうでしょうか?

英語の意味がダイレクトに入ってこない僕のような日本人にとって、洋楽の英語の歌詞は、音楽を構成する楽器の一部という側面が強いはず。

断片的な意味は理解できたとしても、その英語の歌詞から文化的な背景までは汲み取ることができません。

言い方を換えるなら、「理解できる英語の歌詞を、自分の都合のいい世界観で受け取っている」とも言えそうです。

 

ひとつ例を挙げてみます。

ビートルズの曲に、ポールマッカートニーが作曲した超名曲「Hey Jude」があります。

この曲の一節に「Don’t carry the world upon your shoulders」という歌詞があり、日本語に直訳すると「世界を肩に背負い込むな」ですが、本来の意味合いは「すべてを一人で抱え込まないで」ということです。

じつは「Hey Jude」を書いたポール本人は、この一節を”ありきたりの表現(つまりダサい)”だという理由で気に入ってなかったそうです。

ではなぜこの歌詞が採用されたのかというと、ジョン・レノンが「その部分の歌詞こそ一番良いじゃないか」とアドバイスしたことで、ポールが自信を持ったのだそうです。

こういうエピソードを聞いても、僕にはいまいちピンときません。

文化的背景まで含めて英語という言語を理解しているわけではないため、ダサいかダサくないかの判断基準を持っていないからです。

 

これを踏まえると、洋楽の歌詞に「ダサい」という感情を抱かない理由は明白ですね。

要するに、洋楽の英語詞を単に言葉やサウンドとして受け取っているだけで、そこに内在するであろう多くの文化的情報が理解できないからです。

逆に言えば、洋楽にもダサい歌詞はあるってことです(当然ですが)。

 

「じゃあ、ダサくない歌詞ってなんなのよ?」という声が聞こえてきそうですが、これも音楽のリスナーによって感覚は違ってくるので、結局は人それぞれということに落ち着きます。

個人的なことを言わせてもらうと、以前は好きだった(というか、ダサいと思わなかった)「日本語と英語が同じくらいの比率で混在する歌詞」が、年を追うごとに段々と苦手になり、そのような歌詞のついた邦楽を自分から進んで聴くことが少なくなりました。

楽曲がダサい

ここでいう「楽曲がダサい」の「楽曲」とは、コード進行、ギター、ドラム、鍵盤などの演奏、全体のアレンジなどの総称で、ヴォーカルのメロディラインも含みます。

つまり、曲を構成する歌詞以外の要素ですね。

楽曲のどんなところを「ダサい」と感じるのかというと

  • ありふれたコード進行
  • ありふれた演奏
  • ありふれたアレンジ
  • ありふれたメロディ

結局「ありふれている」というところがダサさを感じるキーのようです。

 

ただ、ありふれているからといって即ダサいと感じるわけではなく、様々な「ありふれ要素」が合体して1つの「楽曲」としてドーンと現れた時に「うっ、ダサい」と感じてしまうようです。

音楽好きな人は、「あー、これありがちな曲だよね」と感じる曲を耳にすることも多いと思いますが、そこに一つでも新鮮な発見があれば、「まあまあ良い曲」という評価に変わることもありますよね。

「ダサい曲」というのは、すべてにおいて既視感のある曲とも言えそうです。

ダサい曲の例

最後に、僕がダサいと感じてしまう曲のパターンをご紹介しておきます。

  • BPM(曲のスピード)が速いのに、メロディに全音符を多用
  • メロディがだいたい強拍から始まる
  • エレキギターがずっとコード弾き
  • 最後のサビの前だけCメロが入る
  • 歌詞生成ジェネレーターで作ったようなありふれた歌詞

ダサいというより、つまらないと言った方が正確かもしれません。

もちろん、これらの要素を単体で持つ曲が須らくダサいと言ってるわけではなく、すべてを兼ね備えた曲を「ダサい」と感じるということです。

ダサいは難しくて奥が深い

個人的に思うダサい邦楽の定義について書いてきましたが、これだけがダサい原因ではないですね。

今回紹介した要素とはまったく別のところで「アニソンはダサい」「ロックはダサい」「ヘビメタはダサい」といった趣向を持つ人も大勢居ます。

ダサいと感じるからダサい。

もちろん、社会一般的な通念として「ダサい音楽」というものはあると思います。

が、世の中にはダサいものがあるからこそ「かっこいいもの」「おしゃれなもの」が存在するわけですし、ある人にとっては「おしゃれなもの」が、他の人にとっては「ダサいもの」だったりするわけです。

なので、「いくら人からダサいと言われようが、自分が好きなことは気の済むまで突き詰めれば良いじゃん」というのが僕の意見。

 

ダサい音楽は、僕にとってダサいだけで、そこに素晴らしさを見出すことのできる人にとっては良い音楽なのです。

ん?ということは、なんでもかんでもダサいと斬って捨てる人は、センスがあるどころか、むしろ世界を見る目が狭い?と考えることもできますよね。

「ダサい」ひとつとっても、奥が深い・・・。