ブックカバーの存在意義とは?読書に必要なのか?

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海外ではカバーのしてある本は少数派なのだそうですが、日本国内の書店で販売している本には基本的にカバーが掛けてあります。

単行本、新書、文庫本、コミックなど、ほとんどの書籍にはカバーが掛けてあり、カバーの無いものは、雑誌、ペイパーバックなどごく一部。

カバーの上から、さらに書店オリジナルのブックカバーが用意されてあってりして、ある意味過剰包装にも思えますが、カバーの存在意義って一体なんなのでしょう?

もちろん、第一の目的は本を汚れから守るためですよね。派手なデザインを施して本屋に並んだ数多くの書籍の中に埋もれ無いように目立たせる効果もあります。

でも、実際に本を購入していざ読もうとした時、このカバーって邪魔じゃないですか?

本を買ったらまずカバーを捨てるようにした

本を読んでる最中、思いのほかカバーが読書の邪魔になってるということに気がつきました。ズレてくると気になりますし、ページめくりの妨げになってるようにも感じます。

本の表紙を汚さないためのカバーですが、読書体験の妨げになるのであれば本末転倒。

本のコレクターではないし、本を綺麗にとっておくことが大事なわけではない。中の情報や知識を得ることが何よりも大切。

ということで、所有している本のカバーを全部捨ててみました。

買ってきた本も、読み始める前にまずカバーを捨てます。

買ったばかりの新しい洋服を着る前に、まず値札やタグを切って捨てる感覚ですね。

 

カバーを破いて捨てる行為は、最初はちょっともったいないと思ってしまいます。

凝ったデザインのカバーだとなおさらです。

本そのものの表紙のデザインがダサい場合も、カバーで隠していたい気持ちになります(この辺どうにかしてほしい)。

それでもより読書に集中できていることを実感してたので、カバーを捨てることを習慣化していたら結局慣れてしまい、それが普通になってしまいました。

実際、本のカバーを捨てるくらいで失うものは何もないんですよ。

カバー自体がすぐ破れやすかったりするので、無駄に扱いに気を使ってしまします。

そういう風に考えると、カバーを捨てることを何とも思わなくなりました。

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ブックカバーを捨てて得られたメリット

圧倒的に読みやすい

カバーのない本は、断然読みやすさが違います。本そのものを必要以上に綺麗に保とうという感覚さえなくなるので、平気で折り曲げたりします。

文庫本はこうやってスッキリ折り曲げられるので、電車の中などで片手で読むのも楽です。

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カバーをつけて読書してた頃は、どっかに綺麗に扱おうという意識があって、 少なからず読書体験そのものの邪魔になってた気がします。

読書できるシチュエーション(機会)が増えた

本を綺麗に保とうという意識が無くなったため、お風呂に持ち込んで入浴中にゆっくり読むことも増えました。水濡れには注意しますが、多少の水滴や湿気で紙がフニャフニャになることをあまり気にしなくなりました。
外出の際は、ジーンズのバックポケットに文庫本を無造作に突っ込んだりします。電車で移動する際などのちょっとした空き時間にサッと取り出して読むのは、ほとんどスマホで時間を潰すのと感覚。

読み終わった本は躊躇せず捨てれるようになって、部屋が片付いた

カバーをかけて綺麗な状態を保った本だと、読み終わってもなんだか捨てにくいもの。

カバーを捨てた本は、綺麗に保とうとすることを放棄しているため、読みおわった時には新品感は全く残っていません。だけれど、中身の情報に集中して読めているので、しっかり吸収した感があります。

なので、もう読まないだろうと判断した本は、躊躇なく捨てることができるようになりました。

本を溜め込まないことによって、部屋がスッキリ片付きます。

僕だけかもしれませんが、本を数多く所有していると、なんとなく読まないといけないような強迫観念みたいなものがまとわりついて、心が落ち着きません。

 

過去でも未来でもない、今現在の自分に必要だと思う本だけを手元に残すことによって、心の安定にもつながっているように思います。

最後に

最近はKindleなどの電子書籍のおかげもあって、物体にとらわれずに中身にフォーカスすることの大切さが、無意識的に世の中に浸透し始めている気がします。

Apple Musicなどもそうですね。CDという物体がどうとかではなく、中身の音楽にフォーカスできる。

物質にとらわれていると、ものごとの本質が分からなくなってしまう恐れがあると思います。最近はやりのミニマリズムという考え方も同じですね。時代の流れでしょうか。

そのうち、ミニマリズムが浸透した時代のカウンターカルチャーとして、モノを所有することに拘る時代が再来するんでしょうね。